大判例

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福岡地方裁判所 昭和45年(ワ)993号 判決 1973年11月30日

原告

向井光夫

右訴訟代理人

山口親男

宗我達夫

被告

豊海事株式会社

外二名

被告

山口県

右訴訟代理人

岩本憲二

主文

被告らは連帯して原告に対し金一五四万八、八四〇円及びこれに対する昭和四六年一月二四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告らの各負担とする。

この判決の一項は仮に執行することができる。

但し、被告山口県が金一〇〇万円の担保を供するときは同被告に対する右仮執行を免れることができる。

事実

一  原告訴訟代理人は、(1)被告らは原告に対し各自金一五六万二、五二〇円及びこれに対する昭和四六年一月二四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え、(2)訴訟費用は被告らの負担とするとの判決及び仮執行の宣言を求め、請求原因として次のとおり述べた。

(一)  事故の発生

原告所有の砂利採取船日章丸(船籍港広島市、総トン数九七トン)は、昭和四二年七月二〇日午前八時二五分頃関門港下関漁港を航行中、沈没していた被告豊海事株式会社(以下被告豊海事という)所有の港湾土木用作業台船と接触し、船底部に破口を生じ浸水後彦島堀越沖合において沈没した。

(二)  被告らの責任

(1)  被告豊海事は、下関市田中町に本店を設置する港湾土木を行う目的の会社であり、被告高橋は、沈船引揚を業とし、前記沈船の引揚げを被告豊海事から依頼され、同作業を請負つていたものであり、被告山口県は下関漁港を維持運営管理する下関水産事務局をその一部局とする地方公共団体である。

(2)  被告豊海事は、昭和四一年一二月頃下関漁港内に港湾土木作業台船を沈没せしめ放置していたが、昭和四二年七月被告高橋に対し右台船の引揚げを依頼し、同被告は同年七月一五日右台船の引揚作業に着手したが、巻揚機の故障で作業を中止し台船を再度下関漁港内に沈没させたので、その位置を標示すべく長さ約八メートル、下端の径約五センチメートルの竹竿の上端に約三〇センチメートル角の赤布を付した赤旗三本を、下端に重りをつけ右竿の間隔を約五メートルにしてロープでつなぎ、台船の船尾側から右舷側にかけて立てようとしたが、誤つて船尾側の赤旗を右舷船尾から南東五メートルの地点に配置したため、日章丸は台船の位置を確認できず、これに衝突したものであり、他方、被告豊海事は被告高橋が再度沈めた台船の位置を下関漁港を維持管理する下関水産事務局に届け出ることを怠つたものである。

(3)  山口県に属する下関水産事務局は、下関漁港を維持運営管理することを職務とする機関であり、そして、同局所属監視所は船舶の往来ひんぱんな同漁港域において通行船舶より通行料をとり、同港の水面付近海面の監視を行うことを職務とするのであるが、当時海水面の監視が不十分なため、台船が同港内の水路中央部に再び沈められたことに気づかず、従つて、同漁港内の水路の安全を保持していなかつた過失がある。

(4)  以上のとおり、日章丸の遭難は、被告豊海事、同高橋、同山口県の統轄する下関水産事務局長の各過失の競合により発生したものである。

(三)  損害

原告は、日章丸が沈没した結果、次のとおり支出を余儀なくされ、合計金一五六万二、五二〇円の損害を蒙つた。

(1)船舶修理費二六万七、一五〇円 (2)発電機取換代五万三、八〇〇円 (3)炊事道具一式代一万五、〇〇〇円 (4)流失燃料代二万三、〇〇〇円 (5)流失衣類代三万二、〇〇〇円 (6)畳二枚分三、六〇〇円 (7)救助船二隻の賃料一七万円 (8)潜水夫雇用費八、〇〇〇円 (9)船舶検査費三、〇〇〇円 (10)乗組員に対する旅費一万三、六八〇円 (11)海難審判出席のための旅費六、二九〇円 (12)海難審判記録謄写代二万三、〇〇〇円 (13)休業損害九四万四、〇〇〇円

(四)  よつて、損害金一五六万二、五二〇円及びこれに対する訴状送達後の昭和四六年一月二四日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  被告らは、いずれも原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、被告山口県は、敗訴の場合の仮執行免脱の申立をなし、請求原因に対する認否及び主張をそれぞれ次のとおり述べた。

(一)  被告豊海事

被告豊海事が被告高橋に台船の引揚作業を委託し、日章丸が台船と衝突して沈没したことは認めるが、被告高橋は台船が再度沈没した際、沈没個所に赤旗三本を立ててその位置を明示したので、その後同所を約一四〇隻の船舶がなんら事故なく航行しているにかゝわらず、日章丸の船長浜辺義行だけが専ら、右赤旗の確認を怠つた不注意により本件事故を招来したものであつて、被告豊海事に責任はない。

(二)  被告高橋

被告豊海事の右陳述と概略同様であるが、付言すると、被告高橋は、昭和四二年七月一七日台船を再び沈めたが、船尾中央から船尾左舷にかけて五メートルおきに長さ八メートル下端の直径センチメートル位の竹竿を、その上端に約三〇センチメートル角の赤旗を掲げ、竿の下にブロックの重りをつけて立てたことによりその位置を明示し、同日から同月二〇日までの間に同所を航行した船は、三〇トン以上九〇トン未満のもので一九四隻に及ぶが、いずれも無事に通過しているのに、日章丸だけが本件事故を起こしているのは、専ら同船船長の操縦の誤りに基づくものである。前記赤旗の位置が仮に原告主張どおりであつたとすれば、本件事故の際その衝撃により移動したものと解さざるをえない。

(三)  被告山口県

請求原因(一)項中日章丸が沈没したこと、同(二)の(1)項中下関水産事務局が被告山口県の一部局であることは認めるが、日章丸の沈没原因は不知その余はすべて争う、日章丸の所有者は舛田昇一である。

仮に日章丸が原告の所有であり、沈没原因がその主張どおりであつても、台船の引揚げ沈没等について被告に何ら届け出はなく、本件事故発生の場所が被告山口県が管理する場所であるということだけで同被告にその責任を負わす根拠は存しない。また、本件事故発生の場所は、関門港として港則法の適用される区域であり、同所の航行の安全については国の機関たる港長が全責任を負うものであつて、被告山口県に責任はない。だいたい、漁港管理の実質は、漁港施設の利用及びその維持管理を目的とするものである。被告豊海事の前記主張は被告山口県も援用する。

三  <証拠略>

理由

一事故の発生及び責任原因

日章丸が沈没したことは当事者間に争いがない。<証拠>によると請求原因(一)及び(二)の(1)ないし(3)の事実、日章丸の船長浜辺義行は、昭和四二年七月二〇日午前八時二三分頃同船に一〇〇立方メートルの砂を積んで下関漁港南部に設けられた水門の南口から同船を出して水路のほぼ中央に向けたとき、約一〇〇メートル先に前記赤旗三本が水路巾約五一メートルのほぼ中央から東側の方向に並んでいるのを認めたので障害物があるものと思つたが、当時これら赤旗とその東側の岩壁間には係留船がおり、また、対岸の岸壁には浚渫作業船豊丸が係留中であつたので、水路中央の赤旗を左船方五メートルばかり隔てて通るつもりでほぼ南微東に向け進航中、右水門から約九五メートルの地点に達した時に、左舷前部船底が沈没していた台船の左舷船尾に衝突し、日章丸は同日午前八時三〇分頃沈没した。被告豊海事所有の台船は、同年一月頃右水門から南方約九〇メートルばかりの東側岸壁に係留中同所に沈没し、そのまゝ放置されていたところ、被告豊海事の当時の社長加藤一は、下関海上保安署から注意を受けていたので、同被告の社員佐藤聖市を通じて同年七月初め頃被告高橋に台船の引揚げを請負わせ、同被告は、被告豊海事の従業員高築外一名と協同して同月一六日台船を一旦浮揚させたものの、巻揚機が故障したため、作業を中止し、台船の船尾が東側岸壁から約二五メートル離れた水路中央に位置し、船首は約北東に向けた状態で再び台船を沈め、前述のとおり赤旗三本を立てたが、被告らはいずれも台船が再度沈没した位置を下関水産事務局に届け出なかつた。前記水門及びその南方約一七〇メートルの関彦橋までの水路は、関門港域内でもあり、港則法が適用され国の機関である港長が管轄する区域でもあるが、下関漁港区域にも含まれ、下関水産事務局が同港管理条例及び同施行規則によつてその維持管理の運営にあたつていたものであり、同事務局所属監視所の職員が一般的な監視を行つていたが、本件事故当時は下関大丸裏の埋立工事付近の船舶の指導、監視に気をとられ、事故区域の監視がおろそかになつていて同月二〇日市の港湾局からの連絡により本件事故の発生を知つたありさまであつた。

なお、同水門は船舶の通行がひんぱんであるが、ほとんどの船舶が一〇〇トン未満の平均二〇ないし三〇トンぐらいで日章丸は最大級であつた。

との事実を認めることができ、<証拠判断略>ほかに右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定事実から明らかなとおり、本件事故は、被告高橋及び被告豊海事の従業員が台船の沈んだ場所を適切に標示しなかつたこと、被告豊海事が右沈船を本件事故発生時までそのまゝ放置し、下関水産事務局に所定の届け出をしなかつたことに起因するが、下関水産事務局としても本件事故発生地がその管轄区域内であり、その管轄区域では下関漁港管理条例により施設の維持・管理、保全に尽すべき責務を負担しているのであるから、当然船舶が安全に航行できるように監視すべき義務があり、本件において同事務局としてはすみやかに右沈船のあることを発見し、その位置を確認し、その危険標示が適切になされているか検討する等し、また水門を通過する船舶に右危険を告知して航行の安全を保持すべきであつたのにかゝわらず、本件では台船の引揚作業が行われ、再度水路中央に沈められた後四日もの間、しかも不適切ながら赤旗の表示もあるのに右沈船に気づかなかつたことは下関水産事務局の監親員の過失であり、この過失も加わつて本件事故が発生したものというべきである。

被告らは、事故発生区域は船舶の通行がひんぱんであるのに、日章丸だけが事故を起したのはその船長浜辺義行の不注意な運転に起因すると主張するが、前述のとおり右浜辺には過失は認められず、また他の船舶が事故に遭遇しなかつたのはそのとおりであるが、当時沈船区域を通行した船のなかでは日章丸が最大級であつて喫水が深くなることから、本件事故が発生したと考えられ、他の小型船が事故を起さなかつたとしても別に不思議ではない。

また、被告山口県は、本件事故発生地が港則法が適用され、港長が責任を負うべきだと主張するが、事故発生地が港則法が適用され、関門港長の管轄区域でもあることは前述したとおりであるが、このことから被告山口県の責任を追及できないと解すべき根拠はないので採用できない。

よつて、本件事故について被告高橋、同豊海事は右各自の過失のため、被告山口県はその職員による右過失のため使用者として、それぞれ責任を免れない。

二損害

<証拠>によると、原告は、本件事故のため請求原因(三)(1)ないし(9)記載の各出捐を強いられ、日章丸の本件事故に基づく一九日間の休業による逸失利益として七六万円を失い、原告の従業員船長浜辺義行が海離審判出頭のために、さらに四日間休業せざるを得なかつた逸失利益及び同人に対する日当を含めて金一八万四、〇〇〇円を失い、同人の海難審判出頭のための旅費として六、二九〇円を要し、本件訴訟のために海難審判記録を謄写する必要があり、この費用として二万三、〇〇〇円を要し、日章丸の故障による一九日間の休業のため、その間原告の従業員四名を下関の造船所に働きに行かせた際の旅費の合計一万三、六八〇円を負担した。

との事実を認めることができる。

ところで、原告の右各出損中従業員四名に対する旅費一万三、六八〇円は、日章丸の休業損害を認めるので、さらに右旅費を損害として計上することは相当でないが、その余の出捐及び逸失利益は本件事故と相当因果関係にある損害としてこれを認める。

三結論

よつて、原告の本件請求は金一五四万八、八四〇円及びこれに対する訴状送達の日の後であることが記録上明らかな昭和四六年一月二四日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いを求める限度において理由があるのでこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。(酒匂武久)

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